いま縄文が熱い! 豊かな生活を送っていたため農耕をする必要がなかった縄文1万年

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日本各地の縄文遺跡が発掘されるたびに新事実が発見され、これまでのイメージが覆されている。このことが日本人のルーツや文化、成り立ちに関して人々の興味が呼び起こされ、いま縄文時代がブームになっている。
さらに江戸東京博物館では『特別展「縄文2021―東京に生きた縄文人―」』が開催されており、中学・高校で教えられた縄文時代のイメージが大きく変わろうとしている。




これまでの歴史イメージ

かつて私たちは歴史の授業で縄文時代を次のように教えられていた。
「およそ一万二千年前から日本列島に住んでいた人類は、残された土器表面の縄紋様にちなんで縄文人と呼ばれ、彼らの住んでいた時代を縄文時代と称されている。縄文時代はいまからおよそ一万二千年前から二千三百年ほど前の時期で、狩猟採集社会だった。弥生時代に稲作が始まって人々は定住生活をするようになった」
しかしこれは真実だったのだろうか?

遺跡発掘が進むたびに新事実が発見される

縄文時代という時代区分は日本史に固有のものであり、世界史の枠組みにおいては新石器時代という区分が一般的に用いられている。
縄文時代の特徴としては、弓矢や土器の使用、磨製石器の発達などが挙げられ、各地域の生態系に根ざした採集経済に基礎を置く点で、その後の稲作に特化し生態系の改変をともなう生産経済に基づく弥生時代と区別されている。
以前は、狩猟採取を行っていたことで定住していないと思われていたが、豊かな自然環境を積極的に活用することで、現在では定住生活を営んでいたことが分かっている。
縄文時代の時代区分は土器の製作技術をもとに次のように分けられている。


①草創期: 1万5,000年前 – 1万1,500年前
②早期: 1万1,500年前 – 7,000年前
③前期: 7,000年前 – 5,500年前
④中期: 5,500年前 – 4,400年前
⑤後期: 4,400年前 – 3,200年前
⑥晩期: 3,200年前 – 2,400年前(東北・関東地方)

考古学者のあいだで議論はあるが、もし時間的にもっとも長く考えた場合、土器の出現の一万六千五百年前を縄文時代の草創期と仮定するならば、いままでの説より四千年以上もさかのぼることになるという。

縄文人の定住と交易

「草創期」の縄文人はなぜ定住をしなかったのか?これには諸説あるが「定住の必要がなかった」というのが正しいのではないだろうか。
縄文時代は氷河期が終わり比較的温暖であったと考えられ、森にも海にもたくさんの食糧があった。春には山菜を採り、夏には漁労、秋には木の実を拾い、冬には狩猟をする。そういった生活で十分豊かな生活をできていた。また住んでいる場所によっては海や山がなかったことも考えられるが、様々な地域と交易をしていたことも分かっており、地元で穫れない食糧は交易によって賄われていたようである。
本格的な定住は、「早期」の約1万1,000年前に季節的に南日本で始まり、1万~9,000年ほど前には通年の定住が始まったと考えられている。
日本最大級の縄文集落、三内丸山遺跡(約5,500年前~4,000年前の縄文時代前期中葉から中期末の集落跡)に見られるように、人々は栗の木を集落のまわりに植えており、栗の実を食用にし、木材は住居の柱にも利用していた。



縄文人の生活範囲は広く、現在われわれが住んでいる地域のほとんどに定住しており、その遺跡跡は北海道・北東北から沖縄県宮古島市平良島尻の長墓遺跡周辺まで広がり、出土した人骨からも縄文人のDNAが検出されている。
このように次第に「定住」していったことは、現在の日本史教科書にも記述されている。
日本でヒスイは新潟県糸魚川流域、コハクは千葉県の銚子や岩手県の久慈が原産地である。このヒスイ、コハク、黒曜石などが交易ににより中期の遺跡から数多く出土している。このことから、当時遠隔地との交易が活発になされていたことが証明されている。また土器をつくるときに粘土中にまぎれ込んだコクゾウムシ(コメ専門の害虫)やダイズの痕跡が多数見つかっていることから、すでにエゴマ、ヒョウタン、ダイズ、アズキなどからコメまでの穀類も栽培していたと考えられている。
このことから、縄文人はある程度植物栽培の知識を持っており、稲作が入ってきてもすぐに対応できる栽培技術を獲得していた可能性がある。


縄文土器の造形物の美しさ

縄文土器の土器には実用性とともにその力強さと神秘性が備わっている。火焔土器やハート形のかわいい土偶など、縄文時代につくられた造形物の美しさに魅了されている人も多い。
2021年10月09日(土)〜12月05日(日)まで両国の江戸東京博物館で『特別展「縄文2021―東京に生きた縄文人―」』が開催中である。
遺跡から見つかった道具類や復元模型などの展示を通し、縄文人たちのリアルな暮らしに迫っている。
この展覧会では、1万年以上続いた縄文時代に、東京の縄文人たちがどんな暮らしをしていたのか、最新の調査結果をもとに、多くの出土品や模型などを用いて紹介。

第1章「東京の縄文遺跡発掘史」
3800か所以上もある都内の縄文遺跡より、大森貝塚をはじめ著名な7つの遺跡から発掘された土器などが展示
第2章「縄文時代の東京を考える」
お墓や精緻な土器、さまざまな道具類を通して、東京の縄文時代を紹介
第3章「縄文人の暮らし」
縄文時代のムラの様子を再現することで、縄文人の舟の操作、土器づくり、埋葬の様子が分かり、当時の暮らしぶりを紹介




何といっても東京産の土偶100点が展示され、ずらりと並ぶ姿は圧巻だ!
祭祀や安産祈願など、土偶には祈りや願いが込められていたと考えら、縄文人がどんな生活をしていたのかを道具類を見ながら考えるのは楽しい。
コロナが抑えられている今、これまで知らなかった縄文文化に触れてみるのもよいのではないだろうか。

特別展「縄文2021―東京に生きた縄文人―」
会期    : ~12月5日(日)※休館日は毎週月曜日
会場    :東京都江戸東京博物館 1階特別展示室
開館時間  :午前9時30分~午後5時30分(土曜日は ~午後7時30分)※入館は閉館の30分前まで
観覧料   :特別展専用券 一般¥1,300、大学生(専修・各種専門学校含む)¥ 1,040、小学生、中学生・高校生・65歳以上¥650

江戸東京博物館【ホームページ】
https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/s-exhibition/special/32188/jomon2021/

参考
世界遺産 北海道・北東北の縄文遺跡群
https://jomon-japan.jp/
かつての教科書とは「ここ」が違う…大きく揺らぐ縄文時代のイメージ
https://diamond.jp/articles/-/266655?page=2
だって大変なんでしょ〜?縄文人がなかなか稲作をはじめない件
https://intojapanwaraku.com/culture/74308/
宮古島の先史人は北方の縄文系 DNA100%一致、「南方説」覆す 英ネイチャー誌論文
https://news.yahoo.co.jp/articles/c75c841fdd10e3a6b88e377f1c70234aac8dec28
すごいよ縄文人…! 圧巻の“東京産”土偶100点にしびれる展覧会
https://news.yahoo.co.jp/articles/245b7a8df236984399468a355283556281486fc0
wiki 縄文時代
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3

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