iPS細胞(人工多能性幹細胞)が医療現場で実用化され始めて難病といわれていた病気の患者に光明が灯ったといわれる。ただiPS細胞の培養過程で細胞に成長しきれない未分化の細胞が残ってしまうことがあり、未分化の細胞を含んだ培養細胞を移植するとがん化するリスクがあることを指摘されている。京都大学の研究グループが、iPS細胞を活用して体のさまざまな組織になる「間葉系幹細胞」を作る過程で、動物に由来する成分を使わない新たな培養手法を開発した。
また慶応大学の研究チームは、アルツハイマー病患者から採取した細胞からiPS細胞を培養し、病気を再現した「ミニチュア脳(脳オルガノイド)」を作ることに成功。この「ミニチュア脳」を使ってヒトでは確認できない病気の原因を探るという。
ドイツのマックス・プランク研究所の研究では、チンパンジーから採取した細胞をiPS細胞で培養し作成した「ミニチュア脳」に、ヒトだけにしか存在しない脳を巨大化させる遺伝子(ARHGAP11B)を組み込んだところ、大脳新皮質の幹細胞が2倍に増加し、ニューロンの劇的な増加するという、いわゆる「ヒト化」が確認された。
どの研究もiPS細胞(人工多能性幹細胞)技術を使いヒトやチンパンジーで試すことができない実験だが、各国ともiPS技術を活用するときの倫理的側面整備と検証体制の充実が望まれる。
間葉系幹細胞は骨や筋肉、脂肪、神経などのもとになる細胞で、移植治療への応用が期待されている。以前よりiPS細胞の作製には成功していたが、細胞培養において動物由来の成分を使っている。使用された動物由来の細胞や遺伝子の状況にばらつきがあり、また細胞が何らかの感染症に侵されているリスクなどの課題があった。
京大iPS細胞研究所の上谷大介特命助教や池谷真准教授らは、従来用いていたウシの血清やマウスの細胞を人工化合物に置き換え、ヒトのiPS細胞を培養した。これにより安定した細胞をつくることができ、約1カ月かけて間葉系幹細胞に変化させることに成功した。
さらにこの細胞をマウスに移植したところ、骨や筋肉を再生させる効果も確認できた。アルツハイマー病の病態の解明に慶応大の岡野栄之教授(生理学)らのチームが9月9日、iPS細胞を使い、アルツハイマー病を再現した「ミニチュア脳(脳オルガノイド)」を作ることに成功したと発表した。論文が科学誌「セル・リポーツ・メソッズ」に掲載された。
次世代型認知症モデル脳オルガノイドの作製に成功-認知症患者の病理をミニチュア脳内で再現-
研究チームは、患者の皮膚細胞からiPS細胞を作成し、それを神経細胞に変化させ、培養液中に浮遊させたまま成長させる特殊な培養方法で、直径数ミリの球状の「ミニチュア脳(脳オルガノイド)」を作製した。
培養から約120日後には、アルツハイマー病患者の脳で見られる異常なたんぱく質「アミロイド β 」がアミロイドプラーク様の構造を再現できたという。またもう一つの原因とされる変異型「タウ」タンパク質は、「タウ」タンパク質をつくる遺伝子を外部から入れて大量に作られる状態にすると、患者の脳と同様の異常な凝集を再現できた。
井上治久・京都大学iPS細胞研究所教授は、「従来の培養細胞や動物を用いた実験よりも、現実に近い条件で研究できる可能性があり、病態の解析がさらに進むことが期待できる。安定的に病態を再現できるかどうかが課題だ」と語っている。
「知恵の実」遺伝子(ARHGAP11B)は、ヒトをヒトたらしめる遺伝子。この遺伝子を組み込んだチンパンジーの大脳新皮質幹細胞は2倍、ニューロンがの劇的な増加が発現している。
さらに、ヒト細胞から作られたヒトの「ミニチュア脳(脳オルガノイド)」から遺伝子操作で「知恵の実」遺伝子を削除すると、大脳新皮質幹細胞数がチンパンジーと同レベルまで減少して「サル化」が起こることも判明している。
この研究は、2022年9月13日に『EMBO reports』で公開されている。
ヒトと他の動植物の遺伝子はどれぐらい同じなのか。
② ニワトリとヒトはDNAは約60%が同じ
③ 昆虫のハエ(ミバエ)とヒトはDNAは約61%が同じ
④ ウシとヒトはDNAは約80%が同じ
⑤ ネズミとヒトはDNAは約85%が同じ
⑥ ネコ(アビシニアン)とヒトはDNAは約90%が同じ
⑦ チンパンジーとヒトはDNAは約96%が同じ
⑧ ヒト同士(人種の違いを含めて)は99.9%が同じ
人間とチンパンジーの遺伝子はのほとんどが同じだが、人間の脳はチンパンジーの3倍以上も大きく、構造も複雑になっている。その原因を探る中で、「ARHGAP11B」遺伝子をサルの受精卵に組み込む動物実験を行なわれた。するとサルの胎児の大脳新皮質の厚さが通常の2倍になり、人間と同じような脳のシワが形成され、さらには脳細胞数も劇的に増加し、完全な「ヒト化」がはじまったという。
倫理上の観点から中絶手術が行われ、ヒト化した脳を持つサルの赤ちゃんは産まれなかったという。
この研究は2020年に『Science』に掲載され、サル胎児の脳をヒト化させた「ARHGAP11B」は「知恵の実」遺伝子として世界に知られるようになり、その後サルでの実験は中止されている。
この倫理問題を解決するために使用されたのがiPS細胞で作成された「ミニチュア脳(脳オルガノイド)」。
この脳は本物の脳ほど大きくなく構造も単純だが、ヒトやチンパンジーに存在する脳のさまざまな部分を備え、ニューロン同士が接続した神経回路網を形成し、活発な脳活動も観察されている本物の脳といえる。
この脳に「知恵の実」遺伝子(ARHGAP11B)を細胞内に組み込むことでヒト化を誘導する実験を行った。
これまで行われた遺伝解析により、ARHGAP11B遺伝子は、わりとありふれた突然変異で誕生していたことが判明している。
最初にARHGAP11B遺伝子の原型(旧ARHGAP11B)はヒトとチンパンジーが枝分かれした500万年前に出現したと考えられる。
この時点ではまだ不完全であり、現在の私たち人間がもっているものとは異なる遺伝子であったが、約150~50万年前、さらにもう一度、突然変異が発生し遺伝文字が1文字だけ(シトシンからグアニンへ)変化。この変化でリーディングフレームがシフトし、47の新たなアミノ酸配列が生じたことで、ARHGAP11B遺伝子が誕生した。
現在に繋がるホモ・サピエンスの登場がおよそ40万年前と考えられており、150~50万年前に起きたARHGAP11B遺伝子変異が指数倍的に脳容量を増加させ、ヒトをヒトたらしめる最後の一押しになった可能性が高いという。
脳の大脳新皮質幹細胞は2倍に増加させることができるARHGAP11B遺伝子。もしこの遺伝子をチンパンジー以外の生命に使用した場合、脳に対してどのような変化が起こるのかは未知数だ。
この遺伝子やどんな細胞にも変化させられるiPS細胞が、アングラな目的で使われないことを切に願っている。
参考
iPSから「さまざまな組織になる幹細胞」培養で新手法 京大など「より安全に」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/880626
アルツハイマー患者のiPSで「ミニチュア脳」、慶応大が作製成功…治療薬開発など期待
https://www.yomiuri.co.jp/science/20220909-OYT1T50184/
次世代型認知症モデル脳オルガノイドの作製に成功-認知症患者の病理をミニチュア脳内で再現-
https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/files/2022/9/9/220909-1.pdf
人間のDNAは、99.9%共通していた! チンパンジー、ねこ、昆虫……ヒトとの遺伝子の類似性を比べてみた
https://www.businessinsider.jp/post-165064
ヒトだけが持つ「知恵の実」遺伝子がチンパンジーの脳オルガノイドを人化すると判明
https://nazology.net/archives/115075
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